安曇野について
名の由来
安曇野の歴史は、多くの神話や伝説に彩られ、その名の由来は、6世紀頃北九州から、この地に移住した安曇氏にあるとされています。安曇族は一面の湖沼地帯を開拓し肥沃な地に変え、この地に勢力を築きました。
「安曇野」という呼称は、明治末期の武者小路実篤の書簡に「安曇野」の言葉があることや、若山牧水が「夏の安曇野」という短歌を発表しているなど、明治時代から一部では知られていたようです。その後、
堀金村出身の臼井吉見の小説「安曇野」(64年から74年「中央公論」「展望」に連載)をきっかけに全国に広まる事になります。またNHKの朝の連続ドラマ「水色の時」(70年4〜10月、大竹しのぶ、香川京子出演)で観光地としても注目を集め、さらに当時、若い女性に人気のanan、nonnoといった雑誌に紹介された事で、全国的に「安曇野」が認知されるようになりました。
エリア
ここからここまでが安曇野ですという公式の見解はどこにもありませんが、最近の一般的なイメージからいうと穂高を中心としたたとえば大王わさび園、碌山美術館、そして山麓線周辺を含む田園でしょうか。雑誌で紹介される観光スポット、名所、道祖神、いろいろなお店などがおりなす複合的な観光地としての安曇野エリアです。
昔からの安曇野というと安曇野市( 旧、南安曇郡の穂高町・豊科町を中心に堀金村、三郷村 )から
北安曇郡の松川村、池田町、大町まで西に北アルプスを望みながらの南北に広がる田園地帯をさすように思います。
安曇野の今
南の方では最近松本あたりのベッドタウン化が進み、豊かな田園も虫食い状態に開発が進んでいます。
地元産業界では高速道路の整備を望む声が高く、長野県知事も変わり建設への期待が膨らんでいるようです。
旧、南安曇郡の穂高町・豊科町を中心に堀金村、三郷村が合併して新しく安曇野市が発足しましたが、広域で様々な問題をかかえ今後の大きな課題となっています。松川村、池田町は合併せずに独自の施策で頑張るようですが、地方公付税の不足など苦難をしいられそうです。
風光明媚で水豊かな空気のおいしい安曇野の風土を守り、そして大切に育てていきたいものです。
絵になる安曇野の使い方
使い方
使い方は簡単です。地図上のどこか、写真、文字をクリックすると、そのエリアのギャラリーに行くことができます。
直感的に操作できますので、どこでも一度クリックしてみてください。ギャラリーではサムネイルのクリックで拡大できます。
画像はなるべくその周辺が解るように遠景の物を多くしています。大きい方の画像もあまり大きくはありませんが、その辺は御容赦ください。
穂高あたりから大町にいたる安曇野、そして北安曇郡白馬、小谷にかけての北アルプス山麓や田園を紹介しています。絵や写真のモチーフになるような美しく心癒される場所を紹介することで、色々な方に安曇野、北アルプス山麓について興味をもっていただければと思います。
誰もが簡単にいける場所を紹介しています。ぜひ一度、安曇野、北アルプス山麓にお出かけください。
自分だけの風景と巡りあわう楽しみを、味わっていただければ幸いです。
おもにロケーションハンティング用を意図して写真を選んでいます。絵を書く場所や写真の撮影スポット探しに御活用ください。
サイトとしての充実を計るため、近いうちに私の個人的なフォトギャラリーや絵画のギャラリーもアップの予定です。
まだまだ、みなさん紹介したい場所があります。少しずつになるかとは思いますが、どうぞお楽しみに。
画像掲示板について
“絵になる安曇野”では画像掲示板を用意しています。なるだけ参加型のホームページに育てたく思います。
場所の情報や写真、絵画の紹介などふるって御参加ください。こちらのほうも、どうぞよろしくお願い致します。
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